ヤエザワさんとテキスタイルプリント


すべてはこの一台からはじまりました。

これは、たしか2000年頃に製造された機械です。
カメラはフィルムからデジタルに移行するのにあっという間でしたが
こっちは特殊な世界なのでゆっくりでした。
元々紙のプリンターだったけれど
それを布用にと思って自分でいろいろくっつけたりはずしたり
改造を重ねました。
モーターをパワーアップしたり
重たい布に耐えられるようにしたり。
もう、試行錯誤の毎日でした。
だから可愛くてしかたがない。
すべてはこの一台からはじまりました。

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若かりし頃

高校時代は競技スキーに打ち込んでいて
一年中雪山ばかりへ行っていました。
地元は丘の横浜とよばれる、田園都市線「たまプラーザ」。
もう40年以上暮らしています。

大学時代はバブル全盛期、
法学部で国際政治を専攻していました。
街はにぎやかでしたが、どうも波長があいませんでした。
あまり大学にもいかず
バイトとバンド活動に熱くなりすぎて
結局5年通ってようやく卒業できました。
バンドではギターやベースをやっていました。
楽器演奏は好きで
今でも楽器に触れない日はないくらいです。
それとデッサンや油絵を習っていたこともありました。
なにか創作することが好きだったんですね。

結局就職活動もせず
バブルの喧噪から逃げるようにオーストラリアへ行きました。
知りあいからシドニーにいる
オーストラリア人のご夫婦を紹介され
ホームステイ生活をはじめたんです。
ただしばらくすると、文化の違いといいますか
なんとなくぎくしゃくしてきて居づらい感じになっていきました。
思い切ってそこを出て
寄り道しながらゴールドコーストという街を目指しました。

ゴールドコーストは、お洒落で華やかな海辺のリゾート地です。
フィッシュアンドチップスの店でバイトしながら
それなりにやんちゃなこともやって半年ぐらいたった頃
湾岸戦争がはじまったんです。
緊張感のない毎日に少し退屈していたので
これが帰国するちょうどいいきっかけになりました。

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新潟での出会い

帰国してしばらくしたある日
新潟県の十日町市で染色工場を
経営している親の知り合いが遊びに来ました。
学生時代にスキーでもお世話になった方でした。
いろいろ工場の様子を聞いているうちに
「伝統」や「職人」といった言葉が妙に心に刺さりました。
なんだか面白そうで、居ても立っても居られなくなって
すぐに車に布団をつんで新潟の工場へとむかいました。
工場では、職人さんが黙々と作業をしている姿があって
すごくかっこよく感じたのを覚えています。

ちょうど世間はバブルの絶頂期だったので、対照的だったんです。
オーストラリアでのゆるい毎日から
一気にものづくりの真剣勝負な現場の緊張感が
とても心地よく感じました。

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僕の染色の原点

工場では主に友禅染めのキモノを作っていて
この写真は、染料室というところで
友禅染めに使う色糊を作っています。
たくさんの色素をはかりで計りながら
調合して毎日たくさんの色を作りました。
ここが僕の染色の原点です。
職人さん達からは
横浜からきた浮かれた青年くらいに
思われていたみたいです。
すぐに嫌になって帰るだろうと思っていたみたいですが
僕はおもしろくてしょうがなかった(笑)
染料室の親方とは、しょっちゅうケンカしていました。
もっと合理的にできるのでは?
と意見しても全く受け入れてもらえませんでした。
僕も若かったし生意気だったと思います。
そしてあとから
ああ遠回りした方が良いこともあるんだなと気づくわけです。

これはカラーキッチンといって
コンピューター制御で色を作ってくれる機械。
まさに色の台所です。
しばらくすると「抜染」という染色技術を使って
ネクタイやスカーフの生地を
プリントする新規事業を任されました。
サンプルの時期には
集中的に毎日300〜500色位作らないとならなかったので
ものすごく高額で購入するのに勇気が必要でしたが
本当に助けられました。

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新潟での暮らし

雪がしんしんと降る寒い冬には
ヤカンでお酒をわかしてビーカーで飲んで温まったりしました。
職人仲間たちと春は山菜、秋はキノコ狩りとかに行って
わいわいと自然の恵みを満喫しました。
近くには温泉やスキー場もたくさんあってよく息抜きに行きましたね。
狩猟や渓流釣りに熱中したのもこの頃でした。

何年前からかな?
妻有トリエンナーレというアートイベントが開催されるようになって
十日町が有名になったけど、僕のなかの十日町はこの染色工場から。
たまに東京からお客さんが来ると、打ち合わせはこの和室。
シブイでしょ(笑)

若いなぁ、楽しそうですよね。
日本酒も鍛えられましたよ。
この地方の人たちは中途半端に飲まないんですよ、飲むならとことん!
色んなドラマがありました…
工場の近くには酒蔵があって、仕事帰りにつまみ持参で立ち寄ると
専務が原酒をすくってきてくれるんですよ。それを事務所で飲んだりして。
今考えるとすごく贅沢な話ですよね。

しばらくは周りから様子をみられている感じでしたが
厳しい大雪の時期も体験して
なんとなく認められていって
気がつけば街中にたくさんの仲間ができていました。
もしかしたらオーストラリアに行っていなかったら
これほどまでに染色や田舎暮らしに
魅力を感じてなかったかもしれません。

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大きな転機

1992年、バブル経済がはじけて大きな転機が来ました。
注文が減り、販売先が次々と倒産…
一気に冬の時代に突入という感じでした。
呉服産業自体が斜陽産業である上に
バブル崩壊の波を思いっきり受けてもうガタガタ。
これは大変なことになったと思いました。

そんな中僕は、洋の服飾雑貨に
まだまだ可能性があると感じていました。
平成7年、気持ちの合う職人仲間と
スクリーンプリントを中心にした工場を立ち上げて独立したんです。
この頃の僕は、雪国の産地で学んだ染色の技術に尊さのようなものを感じていて
取り巻く環境が日増しに悪化しても、すぐにやめる気にはなれませんでした。
本社を地元横浜にして、十日町工場と行ったり来たりの生活がスタートします。

僕が育った横浜市は、明治時代から
世界のスカーフ工場と呼ばれている時代があって
世界中へ絹製品を輸出していましたので
染色工場がたくさんあったわけです。
当時は余った染料を川に流していたので
次のシーズンに流行る色は、川の色をみれば分かるなんて
ちょっと怖い話も聞いたことがあります。
しかし時代はかわって
横浜に残った染色工場は数えるほどになってしまいました。
その1カ所とヤエザワのインクジェットプリント事業を一緒に取り組んでいます。

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インクジェットプリンターの導入

バブル崩壊後のデフレの波で
版を使用するスクリーンプリントは生産コストの安い韓国
中国が主流となっていきました。
そんななか、ヨーロッパでは環境保全と職人不足から
インクジェットプリンターを使用した染色が
主流になりつつあるという情報を耳にしました。
表現の自由度が高く多品種少量生産に向いたこの技術は
直感的にいける!と感じました。
知人の紹介でプリンターに詳しいエンジニアと出会い
冒頭の写真の1号機を購入して
二人三脚で改良を重ねて、約1年後にようやく
まずまず納得いく染め上がりが
安定してできるようになりました。

業界でも少し話題になっていたので
元々のお客さんや仲間のデザイナーが
まず興味を持ってくれて
まずは試験的に仕事を出してくれました。
プリント上がりが想像以上に良かったようで
自然と話が拡がり次から次に
依頼が来るようになりました。
やはり時代のニーズがあったんですね。

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大きな挑戦

2005年、演劇フェスで知り合ったリクルートさんから
大がかりなデザインイベントで
エコバックを製作できないかというお話しをいただきました。
リクルートさんが運営している
銀座のクリエーションギャラリーG8と
ガーディアンガーデンで毎年開催されている
チャリティーイベントです。
500人を超える作家さんの作品を
綿帆布にプリントしてバッグに仕立てました。
参加者はデザイン、広告界で活躍している
若手から大御所までの方ばかり
技術的にようやく安定してきた時期ではありましたが
大きな挑戦でした。
13回も色修正してようやく完成した作品もありましたが
どうにかこうにか全部できあがり
銀座の展示会場に並んだ姿を見たときには
思わず熱いものがこみ上げてきました。
バッグは予想以上に好評で
伊勢丹新宿店や全国のギャラリーでも
巡回展が行われて、最終的に約8000個を製作しました。

このことが大きな実績と話題になって
フロシキ展、扇子展、アロハシャツ展
ハンカチ展とご指名をいただき
また様々な分野のデザイナーや
アーティストの方々からの仕事の依頼も
一気に増えていきました。

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試行錯誤、終わりなき戦い

写真は黒の試験のです。
こういう黒を普通に出せるようになるまで
結構大変だったんですよ。
ひとくちに黒といっても色んな黒があるんです。
微妙な数値違いのデータをたくさん作ったり
染料の配合をかえたり
いくつものパターンを検証して
ようやく納得できる色目にたどり着きます。
しかし布によって出方が変わってくるので
終わりなき戦いですね。
色づくりに対するこだわりと粘り強さは
十日町時代の経験が生きています。

歴史がつまった、サンプルの布たち。

この猫のエコバッグは大人気でたくさん作りました。
にじみのタッチがうまく表現できて
まるで直接これに描いたように見えませんか?
写真のは私物でもう10回以上は洗濯していますが
色も生地もとても良い風合いになりました。

これはライブペインティングで有名な
神田サオリさんという方の作品を
デジタル写真で撮って
データ化して布にプリントしました。
流れるようなタッチと
鮮明で複雑な色合いをうまく表現できました。

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インクジェットプリントのこと

ところで、インクジェットプリントにも種類があるんです。
お店の前でよく見かけるのぼり旗なんかもそうなんですけど
僕がやっている方法とはぜんぜん違うんです。
あちらは色素を接着剤に混ぜて
熱で布に圧着するというイメージですが
僕はいわゆる染色で
使用する反応染料を使っています。
生地に糊付けして下処理
プリント後は高温で蒸して発色、定着させ
水洗いして最後に生地を美しく整えます。
つまり行程としては一部がデジタルになっただけで
全体的には昔ながらの染色と変わらないんです。
だから十日町での修業時代の経験が生きてきます。

インクジェットプリントは
染色業界にとって革命的な技術だと思います。
表現の自由度が大きく拡がり
製版が入らず廃液が少ないので環境にもやさしい。
写真や音楽がデジタル化したように
世の中の自然の流れなんだなと思います。

ときどき、そうは言ってもインクジェットは
味がないとか「美学」のようなことを語る方がいます。
僕もフィルムにこだわるカメラマンは素敵だと思います。
ただデジタルだからこそできることもあります。
僕はもっともっとインクジェットプリントを活用した
布の製作に大きな可能性を感じています。

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アートスカーフコレクションを立ち上げました。

これまでに2千人を超えるデザイナーや
アーティストの方々の作品を布にプリントしてきました。
最近その経験を生かして
独自「アートスカーフ」のコレクションを立ち上げました。
コンセプトは「装うアート」。
記念すべき第一弾は
日本画の巨匠、東山魁夷の代表作を
スカーフ、ストール、風呂敷にしました。
東山家からはとにかく世界に通用する
ファッショナブルでカッコイイものを作るのなら
という条件で、特別に製品化の許諾をいただきました。


おかげさまで三越や伊勢丹などの有名百貨店
ミュージアムショップ等で販売し大変ご好評いただいております。
海外での展開もお話をいただいています。
第二弾は三重県庁との取り組みで、伊勢型紙をクールにアレンジ。
第三弾は日本イラストレーション界の大御所
宇野亜喜良さんがヤエザワのために描き下ろしてくださる予定です。
東京オリンピックが開催される2020年までに
15作家を目標に、ヤエザワにしかできない技術力と編集力で
魅力あるコレクションに育てていきます。
こちらもどうぞよろしくお願いいたします。

最後になりましたが、デザイナーのセキユリヲさんのご紹介で
気まぐれ商店さんとお取り組みができたことを大変嬉しく思っております。



「無垢な迫力」をどこまで布に再現できるかが大きな課題でしたが
ご満足いただけましたでしょうか?
今回は本当にありがとうございました。

おわります。



ヤエザワさんの詳しい情報はこちらからどうぞ。
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